2008年10月31日金曜日

At last.

ショーが終わって一週間以上が過ぎ、次の課題は果たしていつから報酬がもらえるのか?ビザの申請はどうなるのか?ということ。ショーの翌日に即座にボスに尋ねてみた。まずは弁護士に相談してみてどのビザが一番確実か、どんな書類が必要になるのかを確認するように。それからディレクターのDvと3人で話し合いましょう、と言われた。
弁護士に関しては事情がよくわからない。相談を持ちかけたらすぐに料金が発生するのか?会社からは何のアドバイスもなし。さらにビザ申請にかかる費用はすべて自己負担になると宣言された。申請料+弁護士費用で$5000近くかかるのだ。「だってうちとしてはアメリカ人を雇ったっていいんだから。」というのがボスの言い分。そして一番緊急にクリアにしたかった、いつから報酬が出るのかに関しても、3人で話し合う時にその件も伝えるとのこと。

ショーは素晴らしかったけど、その直後の現実問題はシビアだ。はっきり言ってがっかりした。アメリカの会社がドライなのはわかっているけど、せめてもう少し私の立場や今までの業績を考慮してくれるような言葉が欲しかった。NYに来るまでに多額のインターンシップ手続き費用を支払い、6ヶ月以上も無給でやってきて、更にビザ費用のサポートなし。未だにいつから報酬が出るのかはっきりしてくれない。もし私じゃなくてアメリカ人の経験者を雇ってたら、ビザ費用はかからなくても最初から多額の給料を払わなくちゃいけなかったんじゃないの?だから無給インターン制度で人件費を抑えているんでしょ?私の弱みにつけ込んでできる限り引っ張って無給で働かせようって魂胆?「You are taking advantage of me!」(私を利用している!) と、その日家に帰ってからそんな思いがふつふつとこみ上げてきた。今は円高だし帰国して働いたほうがよっぽど儲かる。
たとえ無給でも、いつから報酬が出るかわからなくても、ただ神様の前に誠実に働いてきた。けどもう精神的に限界。毎朝¢50の薄いコーヒー、お昼はできるだけ$1のベーグル、洋服もほとんど買わず、毎日同じ靴、どんどん寒くなってくるし、冬服もそんなにない。節約、我慢のNY生活。でもこれは自分自身で選択した結果だし、覚悟もしていたことだ。

そう、文句を言っても何も始まらない。まずは早速弁護士を探して相談してみないと。同時に他の会社も探そう。
こちらの日本人の友達に聞いたりインターネットで調べて、まずは日本語を話せる弁護士を見つけて電話をしてみた。電話での相談は無料だそうだ。良かった。ワーキングビザ取得は相当難しいと皆から言われていたのだが、その弁護士曰く、大統領選があるから移民法の改正が期待大であり、私位の職歴があればまず大丈夫だろうとのこと。私の職種&職歴だったらワーキングビザだけでなくアーティスト(O)ビザも可能だと言われた。但し私が相当卓越した(これがOビザの条件)パタンナーであることを、今までの作品やできるだけ地位ある人からの推薦状等で証明しなくてはいけない。・・・頑張ればなんとか証明できるかもしれないけど、そこまで資料をそろえるのはかなり骨の折れる作業だ。はぁ。

弁護士と話した翌日に、その内容をボスに伝えた。すると今度は、会社側の事情や出せる給料も限界があり、そういったことも弁護士に確認してみてくれとのこと。それを確認したら3人で話しましょう、と。
会社が私に出せる年俸の上限は日本での稼ぎよりかなり低い。そして、また話し合いを引き伸ばすの!?
わかりました。と、とりあえず不服ながら答えてしまったけど、もう気持ちが治まらない。またボスのもとに行き、もうこれ以上無給で働くのは限界、せめて来月からはいくらか出して欲しい、その点を早くクリアにしてほしい、と伝える。そしたら「わかりました。」とただ一言。一体どういうつもりでいるんだろう?

そして翌日の今日、ようやくボスの方から「後で話しがあるから」と言われ、何時間か後に話し合いの場が持たれた。というか、会社としての結論を伝えられた。

来月11月から、ビザがおりるまではパートタイムとしての扱いとなり、日給ベースで報酬が出ることになった!
このインターンビザの1年の期間は一般の有給インターン位の報酬をもらえることを目標にしていた。しかし、以外なことにその額を上回る報酬を告げられた。
やった。ようやく収入が得られる。年齢や経験から考えたら相当低い収入だけど、最悪1年無給かも?と考えてはいたし、もう貯金を削らなくても生活費は賄える。これからのことはまたこれから考えよう。

たくさんの内なる疑い、不安、理不尽さを抱え戦ってきたけど、ボスとDvに心からの笑顔で感謝を表さずにはいられなかった。それ以上に、ずっと見守ってきてくれた神様に。

2008年10月21日火曜日

ビッグショーが終わって



昨日の日曜、ようやく大きなショーが終わった。ショーに向けて多少バタバタはしていたもののそれほどめちゃくちゃ忙しい日々だったわけではない。けれども前回の更新から約1ヶ月も経ってしまってた・・・。「書く」ということもそれなりの集中力がいるので、なかなかそこに心を向ける余裕が持てなかった。

この1ヶ月はショー向けのパターン作成、縫製指導などがメインの仕事だった。日本のコレクションブランドみたいにショー前は夜中まで働く、なんてことはこちらでは一切ないのがとてもありがたいことだった。でもやっぱりショーが近付くにつのサンプル作成状況も時間との戦いになってきて、皆少しピリピリしていた。文句や言い争いが多くなった。こちらは感情表現がストレートなので、言い争いも激しい。そんな時はいつも片隅で、心の中で祈りをささげていた。そして、クチュールの仕立てはまだまだ不慣れなことが多く、多くの修正を重ね、戸惑いながら、常に英語での対応のストレスもあり、残業はそれほどなくてもけっこう疲れを感じていた。
今回はショーの会場とマーケティングアポイントメント会場が違うのでドレスの移動が計4回にもなる。タフだ~・・・。

今回のショーは前回の4月のショーより規模が大きく、ドレスの数もモデルの数も倍近い。会場も前回よりも数段格式高い高級ホテル。バックステージも広くてLuxuryだった。そんな場所で綺麗なモデルたちが綺麗なドレスを着てショーの出番を待っている光景は壮観。今回は自分でパターンを手掛けたドレスが約3分の1もあり、その光景を目の当たりにしてとても充実感を覚えた。今回はモデルの着替えも少なかったのでショーを客席から見ることもできた。
すべての雰囲気から、前回よりも一段と洗練されたショーになっていることを感じた。やっぱり自分でパターンを引いたドレスをプロフェッショナルなショーで見られることは感動である。しかもここはNY。半年前わけもわからない状態でショーを手伝ってた時にはまったく想像できなかった思い・経験をしている。
友達も6・7人見に来てくれて、みんなショーを気に入ってくれたようで、私を励ましてくれた。がんばってきて良かった。こうやって友達と喜びを分かち合えることは何よりも嬉しい。

ショーが終わり、会場を片付け、またドレスを別のホテルに運ぶ。しかし今回は打ち上げがあり、寿司&カラオケバーへのご招待!遠慮していたのだけれど、ボスからの強い勧めでインターン皆が行くことになった。ボスは熱唱。そして上手で驚いた。旦那さんもカラオケ大好きらしく楽しそうに何曲も歌っていた。私はAちゃんとPUFFYなんぞデュエットすることに。カラオケなんて何年ぶりだろう。余談だけど、こちらの人は「KARAOKE」をなぜか「キャリオゥキ」みたいに発音する。なぜそうなってしまうのか不思議である。そして、久々のお寿司!人数の割りに量が少なくてあまり食べれなかったけど、やっぱり日本人のソウルフード、おいしい~!幸せ!

翌日(本日)の仕事は夕方のドレス&荷物の移動だけだったのでお昼までゆっくり寝られた。
さっき、無事にすべてをオフィスに運び終えて、Aちゃんとイーストビレッジのラーメン屋で夕飯を食べて帰宅。
これからしばらくは落ち着いた日々になるだろう。充実感を持ってショーを終えることができて、ただ神様に感謝。
このブログを読んで応援してくれている皆さんにも心からの感謝をささげます。